袁紹がなぜ自分にこだわったのか、曹操は分かったような気がした。

名門の子弟として、一族の頭領として付き合わなければならない相手には、 こんな話をすることが出来ない。
一族の者にも打ち明けられない。

相手が曹操であれば、家柄的にも人格的にも、あくまで個人的な間柄として 付き合うことが出来る。
そして同じように、頭領という地位を用意された立場だ。 重すぎる責任を強制的に負わされる辛さも、理解出来るだろう。

(でもやっぱり、へんだよな)

今日知り合ったばかりのこんな子供に、こんな風に感情的に依存しようとするなんて。

聞きもしないのに深い事情を教えてくれたり、弱いところをさらけ出したり。
よほど切羽詰っていたのか、それともこちらをあなどっているのか。
判断はつかないが、裏があるわけではなさそうだと思う。

そうであればこそ、こんな気詰まりな沈黙の時間に、黙って付き合ってやる気にもなったのだ。

「……すまない、本当に……」

潤んだ目を擦りながら、袁紹がようやっと口を開いた。

「謝んなよ。謝らなきゃならないようなことしてないだろ?」

覇気のない弱弱しい態度には、軽い苛立ちすら感じる。
袁紹は少し、泣き笑いのような顔になって笑った。

「ありがとう。気を遣ってくれてるんだな。きみは優しい子だ」

「やめろってば、もう……」

表情にこれほど邪気がないのは、きっと本心からこの言葉を口にしているからだろう。
それなりの苦労もあり、屈折もあるのに、こんなに人がいいままでいられるのは、 少々うらやましい気もする。

「あんた、明日もまだやることがあんだろ? 休めよ。棺の隣じゃよく眠れんかも しんないけど」

「そうだな……」

「話の続きは、また今度しようや」

「……今度?」

「三年喪に服すことになってんのか?」

「ああ、そのつもりだけど」

「その間あんたは動けないだろうから、おれがまた来るよ。 三年目ぐらいになりゃ、あんたも暇だろ」

「……いいのか?」

「いやなら言い出さない。おれはそういう男だ」

「そうか……」

袁紹は曹操の正面に立ち、両手を合わせて礼をした。

「ありがとう」

「やめろってば」

あらたまった礼などされては、きまりの悪いことこの上ない。

「きみももう休むといい。呼び止めて悪かった」

「だからいちいち謝んなって。いろんな話が聞けて、おれも有意義だったからさ」

曹操の言葉もまた、本心だ。
この男を気に入ったのかと言われれば微妙だが、 権力や名声を求める人々の作る、澱んだ世界の只中にあって、 こんな人柄のままに大人になれる男もいるのだとしたら、なかなか、悪くないことだとも思う。

この男と親しくなったと言えば、きっと家族は泣いて喜ぶだろう。
それが自分のでたらめな行動に端を発した単なる成り行きなのだから、おかしい。

曹操はくすりと笑った。
その姿を、少し首をかしげた袁紹が見ていた。




  *    *




袁紹の服喪期間は、実に六年の長きにわたった。
母の喪が明けてから、あらためて袁成の分、三年服喪したのである。
それは朝廷が混乱状態からいまだ抜け出せずにいたため、袁隗が下した苦渋の判断だった。

袁紹が服喪している間に曹操も冠礼を迎えた。

加冠すれば、官僚予備軍として京師にゆくことになる。
もちろん全ての者がいくわけではない。州郡に「孝廉」な者として推挙を受けて 初めて資格を得るのである。

曹操の品行は改まっておらず、孝行でも廉潔でもなんでもなかったから、 曹嵩はショウ国の地方官僚たちとのよい関係作りに余念がなかった。
金も用意していたし、多少の脅迫も辞さない覚悟があった。

ところが孝廉への推挙者が選抜される頃に、ショウ国のある官僚から、曹操に対し 多数の推薦状を受け取っていると、連絡があったのである。
知らされた名前は、主に汝陽の名士たちであった。
筆頭に袁家の頭領、袁紹の名前があった。

何時の間にこんな人脈を広げていたのであろうと、曹嵩は首をかしげた。

そうして少し、わが息子を誇らしく思ったのだった。





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