自分以外の者を基準に決められた評価。
生まれる前から背負わされた役割。
莫大な財産と引き換えに、与えられた負の遺産。

袁紹には、その少年の気持ちが分かるような気がした。

彼自身はむしろ逆の立場を持って生まれた。
出自を人に祝福され、名乗るだけで尊敬の目で見られた。
けれどもそんな立場にあっても、時々叫び出したくなることがあるのだ。
あなた方が尊敬しているのはわたしではない、この顔に映した、袁家という幻ではないか、と。

ましてあの少年があびせられるのは悪意だ。
軽蔑であり嫉妬であり、呪詛なのだ。

少年の態度はとても無礼で、斜に構え、 周囲を睨みつける眼ばかりが光っていた。
だがむしろそんな態度こそが、彼の声なき悲鳴であるようにも思える。
故なく向けられる悪意に対する、必死の抵抗であるのだと。

そんなわけで袁紹は、その少年の事がとても気にかかっていた。
少年の名は曹操という。




  *  *




曹操を紹介されたのは、ほんの数刻前のことだ。


袁紹の母が亡くなったため、袁家は今葬儀のただ中にある。
多くの客が弔問に来ていて、曹操と、そのおじ曹晏もまた、その中に名を連ねていた。
もっともそれは曹操との共通の友人、王儁(おうしゅん)に後から聞いた話で、 袁紹が会った時の曹操はひとり、曹晏の姿は見えなかった。

小柄な少年は衣装を少し乱し、髪までさばいていて、身だしなみのよい大人たちの中でひどく目立った。
常識ある者ならば、そんな格好で人前に現れたりはしない。今日の場合は葬儀の場なので「悲しみで格好などかまっていられない」という表現として、そういう格好を することもなくはないのだが、家族でもない者がそこまで するのはやはり奇妙なことだ。曹操は故人と面識すらない。そしておよそ、悲しんでいるようには見えなかった。

妙な子供だと思ったが、弔問に来てくれたのだから挨拶すべきだろうと近づいた。
袁紹は一族の頭領であり、この葬儀の喪主でもある。 来客には出来る限り礼を返すのが務めだ。相手の態度はこの際関係がない。
ちょうどそこに居合わせた王儁が、曹操を紹介してくれた。
生意気そうな少年は、値踏みするような 目でこちらを見た。
そして次の瞬間、連れていた従弟の袁術が、曹操の家柄を侮辱するような台詞を吐いたのだった。

曹家は宦官の家系として悪名が高い。
曹操の祖父曹騰は、宦官として最高の地位にまで上り詰めた人で、曹操の父で養子の 曹嵩も、その他の親族も、みな官界にそこそこの地位を得ていた。 しかしそれは、正等な方法によって得られたものではなく、裏工作や賄賂によるものだと もっぱらの噂である。
一般の民でさえ、宦官に対してある種の軽蔑の感情を持っている世の中だ。家柄というものに ことさらにこだわる袁術にとっては、姿を見るだけでも嫌な 相手だったのだろう。
ここは宦官の家の子供が来るべきところではない、そんなようなことを言っていた。

曹操はその言葉に憤るでもなく、にやりと笑って、そっちこそ親の七光りで中身などないくせに、と辛らつな揶揄を返した。

そのまま喧嘩になりそうになったが、 王儁と、たまたま通りかかった袁家の食客、何ギョウが何とかその場をおさめてくれ、 大事にならずに済んだらしい。
らしい、というのは、騒ぎがおさまる前に袁紹はその場を離れたので、その後どうなったのかを 知らないからである。二人がもめている間に、他に大切な賓客の到来が告げられたのだ。

それでその時は、ろくに会話もできなかった。
だから曹操に抱いた印象はせいぜい「くせのある少年」という程度のものだった。
袁紹が曹少年に興味を持ったのは、夕刻の食事の折に、何ギョウから彼の話を聞いた からである。

何ギョウは十ばかり年上の文人で、故あって今は朝廷に 追われる身となっている。袁紹は彼を家に匿っていた。
見た目は知識人然としているが、正義を貫くに果断な人物で、袁紹ぐらいの年齢の頃に、人の仇を 代わりに討ってやったこともあるというから、文人というよりも、侠客と言った方が近いかもしれない。
物言いが明快で小気味よいところと、 他の多くの大人たちと違って、強い行動力があるところがとても好きだった。
自分にないものを持った人物に、袁紹はことのほか弱いのだ。

袁紹が姿を消した後、何ギョウは少しばかり曹操と話をしたらしい。何を話したのか、詳しくは教えてくれ なかったけれども、随分と気に入っている様子であった。
曹操をどう思うか、と彼は聞く。
個人的な人格については、あまり話していないからよくは分からない、 ただ変わったところのある少年だとは思った、と袁紹は答えた。
では曹家についてはどうか、と何ギョウはさらに聞く。
宦官にだって家族はあり、一族に宦官がいるというだけで差別を受けるのは良いことではない と思う。宦官の子弟と言うだけで、みな不正を行っていると決めつけるのは間違っている。 彼らが本当に汚職をして、財を貪っているというなら唾棄すべきだが、 本当にそうなのかどうか袁紹は知らないし、噂だけで安直に信じる気にはなれない。
そしてもし本当に不正を行っている人が一族にいたとしても、まだ子供の曹操が、 それに荷担しているはずもないのだから、そんなことで嫌うのは間違っていると思う。 彼は好きでその家に生まれたわけではないのだ。
そう思っていたから、そのままに伝えた。

何ギョウはにこりとほほえんだ。
さすが袁公子は度量が違う、とひとしきりこちらを褒めた後、曹操について、分かったような分からないようなことを 語りだした。
いわく、彼はとても大きな視野を持つことが出来る少年だ、ひねくれてはいるが腐っているわけではない、 むしろ置かれた環境の割には、純粋さを失わずに育っている。
果断さと冷静な判断力を備え持ち、世間の価値判断基準によって目を曇らされることがなく、 物事の本質を見極められる。 あるいはこれから乱れるであろう世の中で、雄飛する人物になるかもしれぬ。 きみにその気があるのならば、今から誼を通じておくといい。

これはまた随分と惚れ込んだものだ、と袁紹は戸惑った。
正直なところ、それほどまでに評価されるべき素材であるかどうか、 まだ判断できるような年齢ではないと思う。 今利発そうでも、大人になれば大したこともなかった、なんてことも 往々にしてありうるのだ。
それで袁紹が黙っていると、その沈黙を早合点してか、何ギョウはこう言った。

確かにあの少年は大人を食った話し方をして、人に不快感を与える。 しかしあれは周囲に対する不信から出ていることで、彼の立場なら致し方ない。 色々なしがらみを受けてがんじがらめになっている状態から、自由になりたいという思い が、奇矯な行動や挑発的な言葉となって現れているのだろう。
袁家の若頭領は懐が深いから、多少の無礼は我慢できると思うが、いかがか、と。

「自由になりたい思いが奇矯な行動や挑発的な言葉となって現れる」という言葉に、とても惹かれた。
いわれのない差別を絶えず受けている曹操ならば、自分の置かれた環境に強い反発を感じていて当然だろう。 それがあの態度として現れているのだとしたら、十分に理解出来ることだと思う。
自分とて、このばかばかしい儀式やら、中身のない礼儀やら白々しい体裁やら すべて打ち捨てて、自由になりたいという気持ちをずっと押さえながら、今こうやって時を過ごしているのだ。

曹操と話をしてみたいと思った。
葬儀が始まって以来、うわべだけの慇懃さを見せる者ばかりと顔を 合わせていて、「お行儀のいい」連中と付き合うことにはもう倦んでいた。
曹操ならば、それがたとえひどい言葉であったとしても、思ってもいないことを口にすることだけはないだろう。

今の袁紹は、なによりも血の通った言葉に飢えていたのだ。


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