(ずいぶん前に書きながら、ずっと放置していた旅行記です。古すぎて旅行の日程とかさっぱり覚えていないもので、テキトーに写真付け足してアップしています)
旅の手配をするのが面倒で&中国語能力が落ちているのを
懸念して、珍しく団体旅行に参加する。
(英語もしゃべれないくせに、ロンドンでも自由旅行するのにね。)
日本人団体旅行客のお大尽ぶりに関心したりとかして。
西安はかつての唐王朝の都、長安である。
観光資源はやたらと豊富で、外国人がよく訪れるわけだが、
目立った産業等はない。むしろ寂れ気味の内陸都市だ。
私がかつて1年ばかりを過ごした瀋陽に似ていた。
けどこちらの方がずっと大きい。
郊外には目に鮮やかな朱赤の花の咲く低木がたくさん植えられている。
ざくろだそうである。以前はそうでもなかったが、最近商品作物として
海外で非常に人気があるので、どんどん栽培量が増えているとのことだった。
観光客相手の商売をする人以外は、農業に従事している人が多いのだろう。
西安の売り物のひとつは城壁だ。 (写真は城門をくぐって、内側から撮った) 中国の都市は基本構造として、街のまわりを高い城壁で囲んであり、 人々の家や市場や行政府はその内側に、農耕地は外側に作られている。 かつてはそれが都市の防御機能として役立っていたわけだが、 戦争をするにはミサイル、交通手段は自動車という時代になってしまって、 城壁は今や単なる邪魔者に成り下がってしまった。 それで多くの都市では城壁を壊してしまったのだが、 西安の城壁は戦争等で壊されることもなく、数百年前に造られた姿を きれいに留めているので、文化遺産かつ観光資源として保存されているのである。 |
これはしかし、はっきり言って交通の大きな妨げでもある。
西安の街は今や城壁の外側にも広がっているが、城壁内の都市中心部には
城門の位置からでなければ入れない。確認していないが門の数はきっと
東西南北の4箇所だろう。中の道は思いっくそ渋滞していた。
城壁に登ると、上は結構広い道幅が取ってある。5メートルぐらいだろうか。 かつて警護兵がここを行き来していたのだろう。 平坦な地形の上にあって、見晴らしはなかなかいい。 黄色い大地が煙り、雲のない空が続く。 |
西側の城壁、ここから先がシルクロードだ。
アラブ人やトルコ人が西からやってきて、
中国人はここから西へ向かう。1000年以上も前の国際交流の舞台。
その後陸路より便利な南方海上路が栄え、この道は忘れ去られてしまったけれども、
陝西省博物館には明らかな交流の跡が残されている。
比較的近くで見れる人形の1対の、後姿に注目する。後姿はあまり写真集に
載っていないのだ。
この時代の中国の服装と言えば、日本の着物のように前あわせが
普通という発想があるのだが、前後の時代の壁画なんぞを見ていると、
どうも結構後ろ合わせの服が使われていたのではないか、と
日ごろから思っていた。
その甲冑を着込んだ人形の上着のすそは、後ろでクロスしていた。
合わせが背中にある証拠だ。
甲冑などない歩兵はみんな前合わせだから、よろいを着たとき
じゃまにならないよう工夫されたのが、後ろ合わせの衣装なのかもしれない。
後ろであるということは、前合わせのように懐が出来るようなカットではないだろう。
どうやって合わせてあるのか。よろいを脱いでみて欲しいところである。
外国人団体客は、博物館付属のお土産屋から入館して、同じお土産屋から外へ出る。 当然その店の中で、自由行動の時間が設定されている。 店には兵馬傭発見者のじーちゃんが座っていて、写真集を買うとサインしてくれるのだそうだ。 別に研究者でもなければもちろん俑を作ったわけでもない、単に井戸掘ってた農民のじーちゃんだが、日本人観光客は先を争って買う。 こーゆーところで買い物をしない私はヒマなので、気になっていた当時の楯と矛をデザインしたオブジェを写真に収めようと団体をはぐれ、 迷って集合時間に10分遅刻した。(でも撮った。) |
博物館前の道にも、お土産屋が立ち並ぶ。
兵馬傭のレプリカなんか持ちつつ道に立って「千円!千円!」と叫んでいるのは、「千円先生」と呼ばれている物売り。
「先生」は日本語の「さん」と同じで男性に付ける敬称だ。
ガイドさんが、お土産屋の並びの奥の方までに入っていくので、何だろうと思いながらついていくと、
そこにはシルク絨毯を売っている店があった。
ライターで火をつけても燃えないシルク絨毯。実演を見せられる。
模様も緻密で複雑な最高級品は、薄手で思い切り目が細かいのだが、何故だかイマイチ日本人に
うけない。絨毯は分厚いほうがいいとか思っているらしい。
段通の安っぽめのものから、日本円にて取引が進められてゆく。
安くても2万、高いと底なし。
確かに物は良かったが、今回の旅のお土産代は使っても3万、とか思ってた
私に買えるはずもない。
しばらくは絨毯の柄を鑑賞していたが、それにも飽きて、団体が視界から消えない範囲で勝手に自由行動。
民族っぽいブレスレットなんかを物色する。ふっかけてくる値段は30元ほど。
こんなもの5元程度のもんだろうと思うので、そこまで値切った。
それを持って団体の中に戻ると、絨毯に飽きて退屈していたおばちゃんに
見つかる。おばちゃんたちも欲しいと言うので、買った場所まで連れて行った。
欲しいような欲しくないような態度を示していると、どんどん値段が下がる。
しまいには私が値切ったのよりも安くなった。その代わりに数を買わなくちゃならない。中国的商法だ。
おばちゃんたちが買ってるヒマに「青花」のネックレスを買った。
陶器によくある、白地に紺の染付け模様の数珠のようなヤツだ。これも50元が10元になった。
始皇帝陵をバスの中から見た。まだ発掘されていないらしい。 兵馬傭抗は農民のおっちゃんが井戸を掘っていたときに「たまたま」 掘り当ててしまった結果、発掘しなければならないハメに陥ったのだが、 金と技術の問題で、始皇帝陵の方は後回し状態であるらしい。 水銀で海が作られていたと『史記』にある始皇帝陵だが、地質調査かなんかの結果で、大量の水銀が含まれていることが 分かったと言う。 未盗掘ながら史書にも存在が載せられていなかった兵馬傭抗と、 始皇帝の死後すぐに暴かれ、その壮大さが史書に描かれている始皇帝陵と、 どっちの遺品がすごいだろうか? とりあえず、私が生きているうちに発掘して欲しいものである。 |
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