亳州には曹一族の墓があるが、曹操本人の墓はない。曹操はいったいどこに埋葬されているのだろうか?

魏王曹操はたくさんの人を殺したので、多くの者に仇とつけ狙われていた。
死ぬ前から暗殺されることを恐れていたが、死んだ後も、墓を暴いて報復されることを 怖れなければならなかった。
けれどもこんな心配はとても人に語れるものではないから、 曹操は一人ひそかに頭を悩ませていた。

ある年、持病の頭痛がまた襲ってきて、曹操は自分の寿命がもう長くないと思った。
その時曹操はギョウにいたが、息子たちは皆別の土地に駐留していて、ただ 一人の義理の息子(もともと書童・召使いだった)だけが側にいた。

ある日、曹操はその義理の息子を呼び出して言った。

「息子よ、わしはそろそろ天に召される日が近づいているようだ。ついてはお前に 頼みたいことがある。親孝行と思って引き受けてくれるか」

「父王のご命令に、なんで従わないことがありましょうや」

「ではよく聞け。まず第一に、七十二の棺を作るのだ。第二に、天下はまだ定まっておらんから、 わしが死んだ事はしばらく伏せておけ。第三に、わしが死んだらお前一人がわしを棺に 入れて、誰にも知らせるな。第四に、喪服は着ずに派手な衣装を着ておれ。第五に、 埋葬する時は七十二の墓穴を掘って、七十二の棺を四方の門から同時に送り出せ。 第六に、埋葬が終わったらおまえの母親と兄弟たちに知らせを入れろ。以上の六つの ことを、必ずこのとおりに行うのだ」

「かならず仰せのとおりにいたします!」


それから何日かすると、曹操は本当に死んでしまった。

義理の息子は言いつけどおりに 五条目までをこなしたが、最後の第六条だけが守れなかった。
父が死んだのだから、母や兄弟たちには真っ先に知らせを送ろうと思うのが 人情ではないだろうか?
しかし人を使いにやったのではまずい。考えたあげく、彼は 自分で知らせにいくことにした。
長男の曹丕は気短で怒りっぽい男で、父の死を聞いて悲嘆に暮れたが、義理の弟が 喪服も着ずに派手な格好をしているのを見て、かっとなって斬り殺してしまった。

曹丕は連夜馬を走らせてギョウに帰った。
しかし七十二も墓があって、どれが父親の墓だか分からない。
墓を掘った兵士たちに聞いてみたが、誰に聞いても知らない。それで怒って、 埋葬に関わった兵士を皆殺しにしてしまったので、とうとうどれが曹操の墓だか 分からないままになってしまった。
曹丕は父の墓を故郷に戻すことができず、七十二の塚は今もショウ河のほとりに あるという。

これぞ曹操最後の「人の手を借りて口止めをする」計であった。


*これはウソ伝説の方ですね。亳州でも悪役曹操のイメージはそれなりに出回っているのです。


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