亳州には地下道がある。
伝説によると、それは曹操が練兵に使ったものなのだそうだ。
曹操はどうして地下に練兵道を掘ったのだろうか。

漢代の末、戦乱の時代が訪れ、曹操は故郷で人を集め、起義しようとした。
当時は兵力が多いものほど天下に名を知られたのだが、曹操にはまだあまり兵力が なかった。
何か方法を考え、兵を集めなければならない。

彼は部下に命じ、城市(まち)の下に、四つの大通りに沿って城外まで地下道を掘らせた。
掘り出した土は食糧袋に入れさせ、四個所にまとめて置かせる。 そうすれば、山積みにできるほどの食糧の備蓄があるように見えるからだ。
地下道を掘り終わると、練兵の開始だ。

曹操は隊を四つに分け、全員に赤い服を着せて、鳴り物入りで四つの門から 走り出させ、それから地下道を使って、こっそりと城市へ戻らせた。
次に緑の衣装に着替えさせ、また大げさに四つの門から走り出させ、 またまた地下道を使ってこっそりと戻らせた。
更に黒い衣装に着替えさせ、同じことを繰り返させた。
それから四隊をまた一隊に戻して、全員同じ色の服を着せて、城内から地下道を 使って外に出して、地上を行進して城内に戻らせた。
こんなことを三日間、朝晩繰り返し行った。

これを見て、ショウの周辺の人々は言った。

「短期間のうちにこんなにたくさんの兵を集められるなんて、曹操はすごいやつだ!」

曹操にどれだけの兵力があるか、誰にもはっきりとは分からなかったが、 うわさがうわさを呼び、だんだんと曹操の評判は高まって、本当に兵が集まりだしたのだそうだ。



曹操が練兵に使った地下道は今も残っている。
あの四つの「兵糧の山」もまた、四つの土盛りとして、今に残っている。城外にある「曹四孤堆」のことである。



どっかで聞いた事があるような話ですが…。
本当に曹操が作ったかどうかは分からないながら、 亳州には地下道が本当にあって、観光も出来ます。
曹四孤堆はただの土盛りではなくて、曹一族のお墓ですね。
遺跡があるということで、後付けで作られた伝説なのでしょう。

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