曹操は乱れた漢朝をまた平らかにしようという志を持ち、ショウで挙兵した。
古代の名将樂毅や白起などの用兵を研究し、規律を厳格にして信賞必罰を貫けば、 軍は必ず強くなる。そう思い、彼は日々兵法を研究していた。
しかし部下達は軍規など守らず、勝てば略奪をするわ、負ければさっさと逃げ出すわで、 まったく理想からは程遠かった。

どうすれば軍規を遵守させることが出来るか? 曹操は考えに考え、とうとう一つの方法を 思いついた。
城を離れること三里の場所に八角形の高い台を作り、「点将台」と名づけた。 そして常にそこで閲兵したり、論功行賞したりしたのである。

ある日、曹操は金銀財宝を台の上に用意させ、主簿官に名簿を広げていちいちの将兵の功を 読み上げさせ、その功績にあわせて賞を与えた。
曹操は将兵らに問うた。

「わたしの賞は公平に与えられているか?」

将兵らは答えた。

「とても公平で、理にかなっております!」

「賞を漏れたものはおるか?」

「おりません!」

「いや、ひとりおる!」

曹操がそう言うと、ひとりの男が、左右から兵士に捕まえられた格好で引き出された。
将兵らはその姿を見て驚いた。曹操の妻のおじの子の孫喜だったのだ。

曹操が兵を起こしたとき、孫喜もまたその騎下となった。
しかし河北の袁紹の兵が多く地盤が広いのを見て、そちらに付けば自分も何か官職にありつけるかと 思い、逃げて袁紹の元へ奔った。
それからもう二年になる。いったいどうして戻ってきたのだろうか?

実は孫喜は、袁紹の下で働いている二年のあいだ、特に重用されることもなく、不遇をかこっていた。
その間に曹操がどんどん勢力を伸ばしていったので、 曹操であれば、親族の誼でなにか官職を貰えるかと思い、また逃げ出してきたのである。

「孫喜、おまえは自分が、どう賞するに値すると思うか?」

孫喜はその言葉を聞いてびくりと震え、土下座をして何度も何度も頭を下げ、訴えた。

「ただ命だけお助け下されば、それ以上は何も望みません!」

「王子が罪を犯した場合も、民と同罪である。わたしの親戚だからと言って容赦はしない。 敵前逃亡の罪は斬首に値する。だからお前には死を与えよう。こやつの首を斬れ!」

これを見て、将兵らは曹操の軍規が厳しいことを悟り、軍法を犯す者はいなくなった。


曹操の八角台の遺跡はいまも残っている。しかしもう、小さな丘があるようにしか見えなくなってしまった。



*遺跡に跡付けされた伝説かと思われます。孫喜は架空人物。

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